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2017-03-23

大城 幸司|後編

布人_大城幸司 [丸正織物工房]
取材人_アイデアにんべん

機織りの音で目覚め、機織りの音を子守歌にして育った。
でも、でもそれらは日常の風景でありすぎたゆえに、
子どもの頃は、特別なことだと思うことはなかった。
3人姉弟のうち唯一東京に出た末っ子が気づいた、琉球絣への誇り。
織り、染め、括りを一から学び、
反物では表現できないストールのおおらかな織りで、琉球絣を発信している。

これまでの話はこちら>>前編

シンプルにした柄は市場に出たときにはどんな反応があったんですか?

すごく好評だったんですけど、8反分つくって売れ残ったらと思うと、出すまでどきどきでした。
おばぁもある時期から何も言わなくなったよね。「好きにやりなさい」って言われて。
そこからぼくが全部図案を描いています。

 

柄が600種もある地域は他にないですよね?

絣は平織っていう原始的な織りなんです。何も浮いていない織り。浮いているのは組織織といって立体的です。平織に柄を入れようと思ったらある程度制限がかかるんですよ。制限がかかるなかでできるだけというのがこの600種なんじゃないかな。
例えば、豚の餌箱という柄があるんですが、餌箱を思ってデザインしたんじゃなくて、絣の構成上、餌箱の形に似てたから、後付けの名前だと思うんです。絶対、豚の餌箱って思ってデザインしないので(笑)。
600種類もあるので区別のために名前が付いてきたと思うんです。図案を描いてたらわかってくる。

 

制作するものはほぼ反物ですか? 素材は?

9割が着尺と帯です。全部絹なんですけど、その中でも壁上布という織物って全国で南風原にしかないんですよ。つくる人がなかなかいなくなっちゃって、でもぼくらはこれにこだわってやってきたので。
昔はけっこう織られてたウールも。ウールの絣って見たことなかったので、いいんじゃないかなと思って。

 

 

芭蕉布や首里織の展示会はよく見かけますが、琉球絣も展示会に出ようと思えば出せるものなんですか?

今まで南風原の人たちは公募展にも少数しか出してこなかったので、若手に出しませんかと声をかけて、他の工房の南風原の織りを展示会に持っていったりしています。南風原の職人にもっと誇りをもってほしいし、どんどんPRしたい。
去年、国展ではじめて入選して、沖縄の他の産地のかたと話す機会があったんですけど、「南風原は技術がすごいからもっとがんばってね」とお声がけいただきましたし、はじめて南風原から出てきたから、すごく喜んでくれたんですよ。南風原が沖縄の織物を引っぱれるんじゃないかなとぼくは思っています。

 

ほとんどは問屋さんに卸すという形ですか?

9割りが卸しです。ぼくの代になって沖縄県外の展示会に出向くようになりました。
沖縄の工芸の若手が集まる機会があって、南風原の先輩と話したかったので、行ってみたんですよ。「南風原をもっとこうしたい」って。その時にある紅型の職人さんと出会って「いっしょに展示会しない?」と話をもらって、即答で「はい」と。山梨とか、東京とか、北海道とか、出て売ってみて、一番大きいのはお客さんと対峙して、求められてることがだんだんわかるようになってきたというか。今まで夏物と紬しかなかったんですけど、その中間くらいの物がほしいって言われて、つくったり。
行かないとわからないんですよね。もっと出たほうがいいんじゃないですか、いっしょに行きませんかって言うんですけど、忙しくてなかなか…。

 

ネットで「絣」と検索すると「久留米絣」ばかりが出てきます…。

今回、商品開発だけの予算じゃなくて、情報の発信に力を入れたいと話をしました。ここにあるよ、こういうものだよと発信すれば、それだけでだいぶ変わると思うんですよ。ものづくりに劇的に変えようとは思ってないんです。
「絣ロード」が20年前に整備されたんですけど、「アジアかすりロード祭」以外あまり活用できなかったので、「工房に来てほしい」という話を観光協会にしたら、工房ツアーを組んでくれました。1回で20人くらい。産地に行って、機音を聞いて、人を見て、というのが魅力なんじゃないかなって。

 

「つくる」ところだけじゃなくて「売る」ところにも、という視点はどうしてできたんですか?

沖縄で洋服屋を手伝っていた時期です。このお店が立地も悪くて、まったく売れなかったんで(笑)。
その時に腐るほど考えた経験はよかったのかな。見方が180度変わったというか。それまでは華やかなほうに憧れてたんですけど、商売って続けるほうが難しいんだなって思うようになって。どんなに小さくてもずーっとあるようなお店はすごいなって。じゃあ、どうやって続けてるんだろうって見るようになるじゃないですか。そこから売ることを考えるようになりました。

 

 

幸司さんがストールをつくるようになって、南風原でストールをつくろうという人が増えたと聞いていています。

6年前くらい若手にストール展やろうって呼びかけたんですよ。なぜかって言うと、ひとつの工房でつくっても数がしれてるんですよ。でも10人集まれば10柄出てくるし、売り出しやすいなって思って。
でもその時はものが集まらなかった…。ぼくはそれからもずっと継続してつくってるんです。最近は他工房の商品もたくさんありますよ。またストール展を開催できるように呼びかけたいです。

 

反物にする柄とストールにする柄は違いますか?

基本変わらないですね。ストールは昔の沖縄の柄のほうが洋服に合う。ティジマ(手縞)という沖縄のチェックの柄とか、踊り衣装の谷茶前碁盤(たんちゃめぇごばん)をマフラーにしたりとか。
ジンダマー(銭玉)の柄は最近は反物ではあまり織られていなかったんですが、ストールにしてみたら、着物にもほしいというニーズも生まれました。

 

ストールをつくるとお客さんの層が広がりますか?

着物を着る機会がないし、呉服屋さんは敷居が高い。でも織物好きっていうかたはけっこういらっしゃるという実感があります。
反物だと一人で30万出せないかもしれないけど、ストールならニーズがあるかもと思って。
それに反物だとわずかなキズでも検査に通らないということがあります。ストールだったらその部分だけ省いたら他は生きるので。
工芸の世界でもヒット商品を生み出したいねって話は出るんですけど、1本ずつ違う柄にしていては、どの柄がヒットしたかわからない。在庫がないと商売ってできない。今まで問屋さんに任せきりだった発想を変えていこうとしています。

 

ストールが売れている場所は反物とは違うわけですよね?

ストールは工房と組合で販売しているのと、あとは卸しです。
近々、店舗を開こうと思っているんです。工房ツアーで南風原に人の流れができたんですが、買えるところが少ないので、もっと増えるといいですけど。
今でストールは15種類くらい。多分もっと増えますよ。600種類もあるしデザインは枯渇しないと思うので(笑)。
ふだん使いでワンポイントで巻いて「これ沖縄のだぜ」って誇らしい感じになったら嬉しいなと思ってやってるんですけどね。

 

 

 

手織りのストールのよさって何でしょう?

工芸で検査規格ができた瞬間に、とても窮屈なものづくりになった印象を受けるんですよね。ちょっとだけ糸が切れてるから、柄がちょっと合ってないから格外とか。でも昔の反物を見ると、すごくおおらかに織られてる。なのに、とってもぐっとくる。民芸館の所蔵品を見ても、染料がにじんでいても、ものすごくいいなと思う。
格子にしても着物は計ってやるけど、ストールは目分量で感覚的に織ってるんですよ。それがちょっとずれていても一枚の布になると美しいのが手織り。一枚になるときれいなんですよね。本来もっと直感的なものなのかなって。そうやったほうが手織りのよさがもっと出るんじゃないのかな。
反物でも最後の1mの商品にならない端切れの部分は、好きなように織るんですよ。次の布はこの配色でうこうとか、あーでもない、こーでもないって、それが楽しい。

 

最後の1m?

一反は12m50cm~13mくらいと決まってるんです。織り縮みとかもあるのでトラブルがあった時のためにちょっと多めにかけるんですよ。反物の織りが終わったから縦糸を切って捨てるのではなく、この余白を切らないで、縦糸があるところまで糸を使い切って布にする。
おばぁは「わたしたち糸は作れないんだから大事に使いなさい」とずっと言われたらしくて、それをぼくにも言います。

 

布をつくるよろこびとは?

自分がつくったものを着ているお客さんに会うと嬉しいです。去年買ったのを今年着てくれたり。安いものでもないので迷うのもわかる。そのなかでうちの着物を選んでくれたんだと思うとものすごく嬉しいですね。
ぼくらの仕事って反物つくって完成じゃないと思うんです。仕立てて着てもらって完成だと思うので、そこは大事にしているところです。

 

 

売り手が口を揃えて「布はむずかしい」と言いますが、話を聞いているとわくわくしか感じないですね。

ぼくは東京にいて大量生産のファストファッションもやってきたし、世界中どこにいても、ある一定以上のものは買えるんだと分かって、それならこれからの時代は、どうしないといけないか。文化が出てくるんだろうなってその時思ったです。文化は真似してもできない。沖縄の絣ってもっと可能性があると思うんですよね。

 

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布人 大城 幸司

明治大学政治経済学部政治学科卒業後、3年間服飾業界で働いた後、2009年祖父母が営む丸正織物工房で働く。かすり反物の生産者が減少していく中、伝統にこだわり古典的なかすり柄を得意とした工房の三代目として暖簾を背負う。2012年美しい機(はた)の音を南風原の地から絶やさないよう、「かすりロード盛り上げ隊」を結成し事務局長を務め、月に一度の清掃活動や南風原町観光協会と工房見学ツアーを企画。2016年90回国展 入選。

丸正織物工房
〒901-1112沖縄県島尻郡南風原町字本部31 
Tel 098-889-6288 Mail marumasa.fabrics@gmail.com

 


 

取材人 アイデアにんべん

「聴く」「考える」そして「伝える」のが仕事。
パンフレットやパッケージの企画制作、
編集などを承る事務所を読谷村で運営し、
日本の端っこで、日々、小さな声に耳をすませています。


 
http://idea-ninben.com

 

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