toggle
2017-03-24

大城 美枝子|前編

色を変えると雰囲気ががらりと違ってくる。
花織はそこが楽しいんですよね

大城美枝子 [手織工房おおしろ] 
取材人_アイデアにんべん 

「10人の織工たちがそれぞれの機音を響かせるなか、
「花織は織っていて絶対に楽しいと思う」
と大城美枝子は話す。
だがその一方で、伝統という名に付いてくるジレンマも大きい。
「規格」の外にあり、今まで使わなかった糸を組み合わせ、
あたらしい花織のショールを生み出そうとしている。

 

グラフィックデザインの仕事をされていた美枝子さんが、織物の世界へ入ったきっかけは?

1997年に日本の文化を海外に発信しようという国の政策で、フランスで日本展が開かれることになったんです。そこに私の母が沖縄の伝統工芸品を紹介する一人として参加することになりました。その頃私は、体調を崩して休養をしていたこともあり、気分転換も兼ねて、母のお手伝いで同行することに。そこで見た、フランス人の工芸に対する目線というのが、私が沖縄で感じていたものとは全然違う反応だったんです。フランス語で言っているのでよくはわからないですけど、ものすごく感動してくれる。沖縄に帰ってきてから、母親に私にもさせてと言って。大変だなと思うこともあったんですけど、ずっと続けられているので、向いていたのかなと思っています。

 

美枝子さんは、いま何代目?

2代目です。ただ母の実家が琉球絣をやっている家だったので、母も、祖母も、親戚も、内職的に絣をやっている人が多かったです。父は、もともと農協職員だったのですが、母の影響で琉球絣をはじめたんです。

 

小学校のクラスでいうと、クラスで何人くらいが織物工房の家の子?

ひとりかふたりですね。親の仕事場を勝手に触って怒られたという話は聞きますね。母の実家が藍染めをやっていて。藍甕のなかには水飴を入れるんですね。学校から帰ると水飴の一斗缶があって、それに竹をつっこんでよく食べてました。でもそれで怒られたことはなかったなぁ。藍染めの匂いがする家には、必ず水飴があると子どもたちも分かってましたね。
昔は身近すぎて、伝統工芸の良さに気づかなかった。今この業界に入ってくる人って、若い時はよそで経験をしている人が多いです。

 

織工さんたちは、この南風原辺りの出身ですか?

うちは南風原の人は一人もいないです。沖縄市とか八重瀬町とか大里、浦添、糸満の人とか。
組合で毎年研修をしていて、その卒業生。あとはよそから移ってきた人が半分です。

仕事に〆切があるわけでじゃないので、織工に残業はないと思います。急いでだめになるよりは、ゆっくりでいいから丁寧にいいものを織ってという感じで。それで織工さんも好きな時間に来て、好きな時間に帰っていいという決まりなので。会社勤めと比べてゆったりと仕事ができます。
みんなよく言うんです。「ストレスがなくなった」って。特に沖縄に関しては。伝統工芸って会社化されているところはほとんどないし、ノルマもないし。織工さんも出来高制だし。私はときどき問屋さん相手に商売の折衝とかすることがあるけど、問屋さんも急かさない。今、作り手が少ないので、取引を辞めると言われたら問屋さんも困るから。質に関して厳しいことは言われたりもするけど、絶対にこの納期を守ってくれとか、これ以下の値段で売ってくれとか厳しくないので。やはり手織りって大変ってことがわかっているので。

 

 

心配なことは?

作り手が減っているので売れなくなるってことはないと思うんです。作り手がどんどん減って、産地がなくなることの方が心配かな。
昨日も京都から工房見学に来てたんですね。どこの産地も行くたびに減っているとおっしゃっていました。商品がほしいけど、ないと言われるって。残っている工房に注文が増えていると聞きます。問屋さんも減っているし。全盛期の半分って聞きます。

 

南風原では、集落ごとで琉球絣が中心なところと南風原花織をされているところがあると聞きました。

うちは今、花織が多いです。それは最近の話で、私が織物の世界に入った20年ほど前、父親の代の頃は、絣の方が多かったんです。絣は一度に十反分つくるので、男性でないとちょっと厳しい力仕事が多い。昔は中学を卒業したくらいからやっている人が多かったので、ものすごく仕事が速かったんです。スピードがないと食べていけなかったんですね。私もなんですが、今はこの仕事に入るのが30代からという人が多い。また「括り」をやる職人さんが減ってきて、絣をつくるのが難しくなってきています。弟も括りの職人なんですけど、30歳を過ぎてからはじめたので、父親の半分のスピードです。父には敵わない。

 

琉球絣から花織に変わっていくきっかけはあったのですか

沖縄県工芸指導所(現在は沖縄県工芸振興センター)があるんですけど、そこで花織を習ってはじめるようになりました。沖縄ブームがきて、南風原花織も売れるようになったんですね。その頃から、わたしも家の仕事を手伝うようになったので、本格的に花織をやるようになりました。印刷会社でグラフィックデザインの仕事をしていたので、Macを使っていろいろな柄がつくれるようになってきました。花織はデジタルな織物なんです。

織りに関しては難しいところもあるんですけど、織るまでの作業としては絣よりやさしいんです。たとえば、花織りをメインにすると、やさしい絣を入れるとか、あるいはまったく絣を入れない花織というものをつくれば、1か月分くらいの工程が省ける。そんな背景もあって、絣の括りの職人さんが減っていくと同時に、花織の量が増えていきました。

あとは花織のほうが高く買ってもらえるということがあります。ただ、絣組合としては絣の量が減ってきているので、危機感をもって「括り」の職人を育てるということにも力をいれています。

 

 

 

南風原花織には絣を入れるというようなルールがあるんですか?

ルールがあるわけではないんです。ただ、もともと南風原が絣を得意としていたこと、他の産地との差別化が図れるということで入れるという人が多いです。

 

沖縄の他の地域の花織との違いは?

工程で「花綜絖の数が違うこと」や「織機のしかけの違い」が挙げられます。南風原には、織機をつくる工房があるので、機の改良が比較的簡単にできるんです。読谷山花織だと、踏木の代わりに紐を吊るして、紐を足で践んで綜絖を下げるのですが、南風原の場合は、全部踏木を足で押す。
花織の花をつくる仕掛けも、南風原は多くて8枚ぐらい。数が少ない分だけ早く織ることができます。少ない分は絣を入れたり他の部分で工夫をしています。お客様からも「何が違うの」って聞かれるんだけど、できあがったものを見て説明するのはむずかしいですね。ただ他の産地と比べて、種類は多いと思います。「ロートン織り」とか「斜文織」といってGパンの目みたいに柄が斜めに出てくるものも、南風原花織のなかにはあります。

 

手織工房おおしろの花織の特徴は?

花織は花糸というのを入れるんですけど、その「色数が多いね」って言われます。うちは織工さんの数も多いし、週に何回も染織機で染めています。そのため色数はどんどん増えていきます。常時ストックしているのは30色くらい。つくろうと思えば何色でもできると思います。赤だけでも10色くらいつくることができます。

 

 

沖縄に花織の産地がいくつかあるなかで、南風原花織は元気があるように見えます。

沖縄県内で生産者が一番多いからかも。だからいろんな個性のものが南風原にはあると思うんです。他の産地は、組合を中心に生産をしている作家さんが多いと思うんです。南風原花織は、工房として独立してやっているところも何軒かあるので、その工房ごとがライバルというか、その競争のなかで、それぞれに工房の個性を出そうとしているので、南風原花織のなかにも、いろんな個性のものがあると思っています。それは産地として大きいことだと思います。とはいえ昔に比べれば減っています。私の工房でも一番多いときは織工さんが20人くらい。今は半分。それでも南風原は沖縄のなかではいちばん大きな産地ではあるんです。

 

花織を織る楽しさは?

うちは今、織工さんたちが全員が花織を織っているので、私ひとりでやるとデザインが間に合わない。織工さんの感性に任せている部分もあります。それはそれで織工さんも自分でデザインしながら織っていけるので楽しい。
絣は一度デザインを決めてしまうと、途中で変えることはできないんですね。でも花織は綜絖を踏む順番を変えると柄を変えることもできるし、黒を入れていたのを途中から白に変えることもできるので、織りながら自分の考えでどんどん変えていける。
着尺の場合は、経糸も緯糸も色も決まっているのでデザインするとそれを最後まで変えられないんですが、帯の場合は、問屋さんも10反同じ柄の帯は要らないと言うし、緯糸の色を一本ずつ変えてもらって、織工さんの感性でやってもらってます。織工さんも花織のほうが織っていて絶対に楽しいと思う。

 

他の工房でも花織のショールを織っている方はいらっしゃいますか?

いますよ。ただ着尺の残りの糸でやっている部分が多いので、最初からショールを目的とした糸ではないので、ちょっと合わないなっていうのもあったりはするんですよ。最初からショールを目的としたものであれば、ショールに向いた糸があると思うので。細いウールで織ってみるとか。今は実験をくりかえしている段階です。

 

 

絹糸でもいろいろなんですね。

太さが違っていたり、ひとつの繭から取り出した糸を何本か撚って糸にしたものは光沢があってすごくきれいなんだけど、そのまま使うと堅く、しわになりやすい。でも、繭をぱーっと広げて紡いでいった糸はものすごくやわらかい。繭はすごく広がるんですよ。光沢はすこし落ちるんですけど、味のある糸になる。その辺をどう組み合わせるかというので悩んでいる最中です。

 

後編へ


 

布人 大城 美枝子

手織工房 おおしろ 二代目。高校卒業後銀行勤務を経て、某有名テーマパークのパフォーマーを勤め、地元の印刷会社で10年近く版下デザインの仕事に従事。1997年退職後家業を手伝うことに。父が主に琉球絣を作る職人に対し、代表になってからは主に南風原花織を製造。2000年沖縄県工芸公募展奨励賞、OKINAWAテキスタイルデザインコンテスト2000のシルバー賞、「南風原・アジア絣ロードまつり」に先立って発表された琉球絣デザインコンテスト着尺新柄デザイン部門奨励賞など受賞。

手織工房おおしろ
〒901-1116 沖縄県島尻郡南風原町字照屋252-2 
Mail tko.mieko@gmail.com

 


 

取材人 アイデアにんべん

「聴く」「考える」そして「伝える」のが仕事。
パンフレットやパッケージの企画制作、
編集などを承る事務所を読谷村で運営し、
日本の端っこで、日々、小さな声に耳をすませています。


 
http://idea-ninben.com

 

関連記事